大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所 平成7年(ワ)357号 判決 1996年12月12日

原告

甲野一郎(仮名)

被告

井出建士

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、本件事故による損害賠償金二九六万二三〇五円、及びこれに対する平成七年六月二三日(訴状送達の日の翌日)から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払え。

第二事案の概要

本件は、本件交通事故により傷害を負つた原告が、加害車両の運転者兼保有者の被告に対し、本件事故により原告が被つた損害について、自賠法三条に基づき損害賠償金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  本件事故の発生

(一) 発生日時 平成六年九月二九日午後一時五〇分頃

(二) 発生場所 松山市小坂三丁目三―三八先国道一一号線

(三) 加害車両 被告が保有し運転していた普通乗用自動車(愛媛五七ふ六九七九、以下「被告車」という。)

(四) 被害車両 原告が保有し運転していた普通乗用自動車(愛媛三三す六〇七八、以下「原告車」という。)

(五) 事故態様 原告が赤信号に従い原告車を停車させたところ、被告車が後方から原告車に追突した。

2  原告の入通院

(一) 原告は、頸筋挫傷、頸椎捻挫、両大腿背側皮下出血、前胸部打撲の症状を訴え、平成六年一〇月四日から平成七年六月七日まで、富田外科・胃腸科病院に通院した(実通院日数六四日)。

(二) 原告は、平成六年一一月五日食道静脈瘤破裂による大量の吐血があつたので、同日から同年一二月一五日まで松山市民病院に入院した。

3  被告は被告車の保有者兼運転者として、原告が本件事故により被つた損害について、原告に対し自賠法三条により損害賠償金の支払義務を負う。

二  原告の主張

1  損害費目等

未払治療費(松山市民病院国民健康保険本人負担分)五九万八八四〇円、入院雑費四万九二〇〇円(入院期間四一日、一日一二〇〇円)、付添看護費二〇万五〇〇〇円(入院期間四一日、妻が付添看護、一日五〇〇〇円)、休業損害一六七万九二六五円(入通院実日数一〇五日、原告年齢五一歳、年齢別男子平均給与月額四七万九八〇〇円)、慰藉料一二〇万円(入院四一日、通院七か月)、弁護士費用三〇万円、既払額一〇七万円。

2  本件事故状況について

原告は、前方信号機の赤に従い原告車を停止させ、煙草に火をつけて吸おうとした直後に、被告車が原告車後部に追突したため、その衝撃で原告の体が前方に押し出され、その弾みでハンドルで胸を打ち、また、ダツシユボードとボンネツトの間に挟まれて両大腿部を打つた。

3  食道静脈瘤破裂について

原告は本件事故まで二年間全く異常がなく、食道静脈瘤は本件事故が発生するまでに自然に治癒していた。原告は、本件事故後少量の吐血があり、平成六年一一月五日に大量吐血した。本件事故により前胸部打撲の外傷を負い、食道静脈瘤が破裂して吐血するに至つたものであり、本件事故によるストレスも影響している。

4  本件事故当時の収入について

原告は、本件事故当時県知事の許可を受けて貸金業をしていたが、実際には貸付を殆どしていなかつたため、原告の休業損害は、男子労働者五〇歳から五四歳の平均月収四七万九八〇〇円によつた。

三  被告の反論

1  損害費目等

治療費七万四六七〇円(富田外科・胃腸科病院五万〇三一〇円、松山城東病院二万四三六〇円)、休業損害三四万七〇三七円(一か月分)、通院慰謝料一五万円(一か月通院)。

原告の本件事故による損害は以上合計五七万一七〇七円となるところ、被告の原告に対する既払額は一三三万三六二一円に達するので、原告の損害賠償は過払の状態にある。

2  食道静脈瘤について

原告は平成四年一一月二六日にも食道静脈瘤破裂による吐血をしており、本件事故と事故後の食道静脈瘤破裂との間には相当因果関係は認められない。

3  通院日数について

原・被告車の損傷程度は極めて軽微である。原告の身体の損傷の程度は、頸部の筋肉、靱帯、自律神経などの軟部組織の損傷に止まる。原告は、賠償金目的のため、本件事故から八か月経過して、突然ほぼ毎日富田外科・胃腸科病院に通院するようになつた。

以上の事実に照らすと、本件事故と相当因果関係のある通院日数は、富田外科・胃腸科病院の平成六年一〇月四日から同月三一日までの五日間と、松山城東病院の同月八日の合計六日間のみである。

4  本件事故当時の収入について

原告は、暴力団山口組系松山連合の幹部であり、月額四七万九八〇〇円(年齢別男子平均給与額)もの収入があつたものとは認められない。

原告の本件事故当時の月収は、せいぜい、愛媛県の男子労働者五〇歳から五四歳の平均月収の七〇パーセントの三四万七〇三七円程度である。

第三当裁判所の判断

一  本件事故と相当因果関係のある入通院期間について

1  認定事実

(一) 本件事故前の既往症等

証拠(乙九の2・3、一二、一六・一七、証人水戸川剛秀、証人富田祐三、原告本人)によると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五八年から慢性肝炎のため富田外科・胃腸科病院に通院し、昭和六一年四月二一日には、愛媛県立中央病院で肝硬変と診断され、同病院の医師より内視鏡の検査を勧められたのに、原告が拒否したため、同医師より、「食道静脈瘤に関して何かが起こつても関知しない。」と言われた(乙九の2・3)。

(2) 原告は、平成四年一一月二六日に吐血し、翌二七日愛媛県立中央病院を受診し、内視鏡検査で、明らかに出血を伴う可能性のある食道静脈瘤が認められ、食道静脈瘤破裂の診断を受けて、同病院の医師より入院を指示されたのに拒否したため、同医師は患部にトロンビン(止血剤)を撒布したのみであつた(乙九の2・3)。

(3) 原告は、その後も富田外科・胃腸科病院に通院し、肝臓の治療は受けていたが、食道静脈瘤に関しては、何ら積極的な検査治療を受けずに放置していた(乙一二、一六・一七)。

(二) 本件事故の発生等

証拠(甲二の1、乙一・二、証人水戸川剛秀、証人富田祐三、原告本人)によると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、平成六年九月二九日午後一時五〇分頃、松山市小坂三丁目三―三八先国道一一号線を走行し、赤信号に従い原告車を停車させたところ、被告車が後方から原告車に追突した。追突後、原告車は一・二メートル前へ押し出されて止まり、被告車は〇・五メートル前へ進んで止まつた(乙一)。

(2) 本件事故による衝撃により、原告車(高級外車のBMW)の後部が若干損傷してバンパーがずれ(乙八)、被告車(トヨタのカリーナ)の前部も若干損傷した(乙七)。原告は、本件事故の衝撃で体を前に押し出され、その弾みでハンドルで胸を打ち、また、ダツシユボードとボンネツトの間に挟まれた状態となつて、両大腿部を打つた(甲二の1、乙二)。

(3) しかし、原告は大した怪我もしなかつたので、本件事故当日(平成六年九月二九日)から五日間(同年一〇月三日まで)、医師の診察を受けることもなかつた。

(三) 本件事故後の入通院状況等

証拠(甲二の1・2、三〔枝番を含む〕、乙二ないし六、一一ないし一三、二一、証人水戸川剛秀、証人富田祐三、原告本人〔一部〕)、及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(1) 平成六年一〇月四日から同年一一月四日までの通院治療等

原告は、本件事故から五日後の平成六年一〇月四日なつて初めて富田外科・胃腸科病院を受診し、富田医師から頸筋挫傷、頸椎捻挫、両大腿背側皮下出血、前胸部打撲と診断された(甲二の1、乙二)。原告は、前同日富田外科・胃腸科病院で頸椎のレントゲン検査を受け、第五、第六頸椎の推間狭小、変性、骨棘が認められたが(乙二)、これらは本件事故によるものではなく、陳旧性のものであつた。

その後、原告は、平成六年一〇月一二日、一八日、二四日、二九日、同年一一月四日に富田外科・胃腸科病院へ通院し、同年一〇月八日に松山城東病院へ通院して、頸筋挫傷、頸椎捻挫、両大腿背側皮下出血、前胸部打撲の治療を受けた(乙二)。原告は、前記富田外科・胃腸科病院に通院期間中、富田医師に対し吐血を訴えたことなど一度もなかつた(富田医師の証言による)。

(2) 平成六年一一月五日から同年一二月一五日までの入院治療等

原告は平成六年一一月五日、食道静脈瘤破裂によりコツプ五、六杯もの大量吐血があり、松山市民病院に入院した(乙五)。その直前の原告の食道静脈瘤は、非常に出血しやすい状態にあつた(富田医師の証言による)。原告は、平成六年一一月一五日松山市民病院で食道静脈瘤硬化術を受け、同年一二月一五日松山市民病院を退院した(乙五)。

(3) 平成六年一二月一五日以降の通院治療等

原告は、平成六年一二月一五日松山市民病院を退院した後、再び頸椎捻挫等を訴え、富田外科・胃腸科病院へ通院するようになつた。そして、原告は、平成六年一二月は同月一五日の退院以降に六日、平成七年一月は一三日、同年二月は九日、同年三月は六日、同年四月は七日、同年五月は一一日、同年六月は二六日、同年七月は二五日、同年八月は同月一七日までの間に一二日、(この間原告は拘置所に収監されていた。)、同年九月は同月五日以降に一四日、同年一〇月は二二日、同年一一月は二四日、富田外科・胃腸科病院に通院している(乙一一)。

原告は、本件事故後平成六年一一月四日までの一か月余りの間に、前後七回しか富田外科・胃腸科病院等に通院していなかつたのに、平成六年一二月中旬以降、被告が加入していた任意保険会社との間で、本件事故による休業損害の支払を求めて、示談交渉を始めたことから(乙一五、被告の平成八年一一月一四日付け準備書面三項の1参照)、原告が富田外科・胃腸科病院に通院する頻度が多くなり、更に、原告は、平成七年六月九日に本訴を提起したことから、本訴提起直後からの通院日数が急増している。

2  考察

(一) 本件事故と食道静脈瘤破裂との相当因果関係について

原告は、昭和六一年四月二一日肝硬変の診断を受け、医師より「食道静脈瘤に関して何かが起こつても関知しない。」と申し渡され、平成四年一一月二六日には吐血し、翌二七日食道静脈瘤破裂(小出血)と診断されたが、患部に止血剤を撒布してもらつたのみで、その後本件事故に至るまで、食道静脈瘤に関し、積極的な検査治療を受けることもなく放置していた(前記1の(一))。そして、原告は、平成六年一一月五日食道静脈瘤が破裂(大出血)し、同年一一月一五日食道静脈瘤硬化術を受けた(前記1の(三)(2))。

ところで、食道静脈瘤の内視鏡検査所見では、(1) 基本色調が白色よりも青色が、(2) 発赤所見が-よりも+が、(3) 形態が、<1> 直線的よりも連珠状が、<2> 連珠状よりも結節状が、出血しやすい重症の食道静脈瘤である(乙一〇の4、水戸川医師の証言)。原告は、平成四年一一月二七日の内視鏡検査で、基本色調が青色で、発赤所見が+で、形態が連珠状であり(乙九の3)、右時点で既に非常に出血しやすい状態にあつた。そして、原告は、平成六年一一月五日の内視鏡検査では、基本色調が青色で、形態が結節状であり、同年一一月一五日の内視鏡検査では、基本色調が青色で、発赤所見が+で、形態が連珠状であつて(乙四)、平成六年一一月当時の食道静脈瘤の症状が、平成四年一一月当時と同じか更に悪化している。

食道静脈瘤は、酒や食物の通過による機械的な刺激、努責、嘔吐など様々な要因に基づくものであり(乙一〇の4、水戸川医師の証言)、軽症の食道静脈瘤の場合は、物理的な力が作用しなければ食道静脈瘤は破裂しないが(水戸川医師の証言)、出血しやすい重傷の食道静脈瘤の場合には、何もなくても破裂することもある(冨田医師の証言)。原告の平成六年一一月五日、(食道静脈瘤が破裂)当時の食道静脈瘤は、重症で非常に出血しやすい状態にあつたから、日常生活の中で何もしなくとも破裂する状態であつた。

水戸川医師は、原告の平成六年一一月五日の食道静脈瘤破裂は、本件事故によるストレスが原因であると証言し、その理由として、(1) 原告は本件事故後少量の吐血を繰り返しており、本件事故による胸部の圧迫により食道静脈瘤の一部が傷ついて、少量の吐血を繰り返していた可能性がある、(2) 原告の食道静脈瘤は、形態が直線的で軽症の食道静脈瘤であり、食物の通過などによる機械的な刺激で出血する可能性は低い、との二点を指摘している。

しかし、まず本件事故後の吐血であるが、原告は、本件事故後食道静脈瘤が破裂するまで、六回にわたり富田外科・胃腸科病院へ通院しているが、その間一度も富田医師に吐血を訴えていない(前記1の(三)(1))。富田医師は、原告から吐血の訴えがあれば、必ずカルテにその旨を記載するが、原告のカルテ(乙二)にはそのような記載がなく、原告からは吐血の訴えはなかつたと証言している。したがつて、水戸川医師指摘の前記(1)の理由が否定される。次に、水戸川医師は原告の食道静脈瘤は軽症であると証言するが、原告の食道静脈瘤は軽症ではなく、重症で非常に出血しやすい状態にあり、このことは、原告の松山市民病院のカルテ(乙四)に綴られている、内視鏡検査結果からも明らかである。したがつて、水戸川医師指摘の前記(2)の理由も否定される。

以上の認定判断を総合すると、原告は、本件事故により胸部打撲の傷害を負つているが、その外力(原告は本件事故後五日間も医師の診断を受けていなかつたのであるから、その外力も大したことはなかつたと認められる。)により、本件事故後一か月以上も経過してから、食道静脈瘤が破裂したものと認めるのは躊躇せざるを得ず、本件事故と食道静脈瘤破裂との間に相当因果関係を認めるのは困難である。

(二) 本件事故と相当因果関係のある頸筋挫傷、頸椎捻挫による通院期間

前記1の(三)(1)の認定によると、原告は、本件事故(平成六年九月二九日)から五日間医師の診察を受けず、六日目の同年一〇月四日にようやく富田外科・胃腸科病院を受診し、頸筋挫傷、頸椎捻挫と診断されている。原告は、同日のレントゲン検査では、第五、第六頸椎の椎間狭小、変性、骨棘の各所見が認められたが、これらはいずれも陳旧性のものであり、本件事故とは無関係である。その後、原告は平成六年一一月四日までの間に、冨田外科・胃腸科病院に五回、松山城東病院に一回通院しているに過ぎない。

そして、前記1の(三)(3)の認定によると、原告は、被告が加入していた任意保険会社との間で、休業損害の支払を求めて示談交渉を始めた平成六年一二月中旬以降、富田外科・胃腸科病院への通院の頻度が多くなり、本訴を提起した平成七年六月以降、休日を除きほぼ毎日通院するようになつて、本件事故から約八か月も経過して通院日数が急増しており、通常では考えられないことである。原告は、通院の実績を重ねて、より多額の賠償金を得ようと画策していたのではないか、との疑念を払拭できない。

以上の諸点に、原告の治療を担当した冨田医師が、本件程度の事故であれば、一般的には一~二週間で治癒すると証言していることに照らすと、本件事故と相当因果関係のある通院期間は、せいぜい平成六年一一月四日までと認めるのが相当である。

二  原告の損害額について

1  治療費 八万六二〇〇円

前記一の2の認定によると、本件事故と相当因果関係のある治療費は、平成六年一〇月四日から同年一一月四日までの富田外科・胃腸科病院の治療費六万一八四〇円(乙一八の2・6)と、平成六年一〇月八日の松山城東病院の治療費二万四三六〇円(乙一八の4)、以上合計八万六二〇〇円のみである。

2  休業損害 一七万五〇〇〇円

(一) 本件事故当時の月収

原告は、本件事故当時の月収について、年齢別男子平均給与月額四七万九八〇〇円を基礎に、休業損害を請求している。

しかし、原告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故当時、愛媛県知事の許可を受けて金融業を営んでいたが、廃業しようと思つていたため、従業員もおらず、自宅を事務所にして、知つている人にしか金を貸さず、主として貸金を回収している段階であつたことが認められる。

そして、乙第一五号証、及び弁論の全趣旨によると、原告は、平成五年度分所得の確定申告をしていなかつたため、本件事故の示談交渉の過程において、急遽、平成七年一月二四日になつて松山市長宛に、平成五年度分の市民税・県民税申告書(乙一五)を提出しており、右申告書の記載内容の正確性については、大いに疑問がある。右申告書以外には、原告の本件事故当時の所得を認定できる客観的な証拠は皆無である。

ところで、原告は、指定暴力団山口組系松山連合の幹部で、甲野組(仮名)の組長をしており、平成七年八月下旬前後頃拘置所に収監されていたし、平成八年七月二五日にも恐喝未遂で逮捕されている(乙一一、一四の1ないし3、一九、証人富田祐三)。したがつて、原告が本件事故当時金融業に従事してはいたが、誠実に仕事に従事している者と同程度の収入を得ていたとは思えない。

結局、以上の諸点を総合して、原告の場合は、愛媛県労働者の平均賃金を基礎として、その七割程度の収入があつたものと推定する。そうすると、原告は本件事故当時五一歳であり(甲一)、平成六年度賃金センサス、愛媛企業規模計男子労働者、五〇歳~五四歳の年間所得は五九四万九二〇〇円(乙二〇の1・2)、平均月収は四九万五七六七円であるから、その七割は三四万七〇三七円となる。

(二) 休業損害

前記一の2の認定によると、本件事故と相当因果関係のある通院期間は平成六年一一月四日までであり、原告はその間に僅か七日しか通院していない。したがつて、原告の本件事故による休業損害は、原告の月額収入三四万七〇三七円の約半額である一七万五〇〇〇円をもつて相当と認める。

3  慰藉料 一五万円

本件事故と相当因果関係のある通院期間は一か月程度、実通院日数は僅か七日間にすぎないこと、原告の主たる傷害は、他覚的所見のない鞭打症に過ぎないこと(前記一の2)を考慮すると、原告の慰藉料は一五万円をもつて相当と認める。

4  合計

原告の本件事故による損害は、以上の合計四一万一二〇〇円である。付添看護費、入院雑費、松山市民病院での治療費の自己負担分は、本件事故と食道静脈瘤破裂との間に相当因果関係を認めることができないので、原告の請求は認められない。

5  既払額控除後の金額

乙第二一号証、及び弁論の全趣旨によると、被告の原告に対する既払額は一三三万三六二一円であることが認められる。したがつて、原告の損害賠償請求は過払の状態にあることが認められる。

第四結論

よつて、原告の本訴請求は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 紙浦健二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例